童夢
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Nov.09.2006 天気晴朗な日曜の午後

 

 

 

 


きれいに澄み渡った青空に富士山がくっきりと雄姿を現し、シャツ一枚でほどよい気候に初秋のさわやかなそよ風が心地よい。のは自然条件だけで、ここ、富士スピードフェイで行なわれている、猿芝居と言うか茶番劇と言うか、参加者も観客をもないがしろにした「モータースポーツ・エンターティメント」まがいは、奥田瑛二、柳葉敏郎、織田裕二、陣内孝則なんかを呼び集め吉本の新喜劇を演じさせているような、玉石混交でちぐはぐで違和感あふれる、なんとも居心地の悪い場所ではある。その上、それがどんな舞台であれ、舞台に上がった以上、最高のパフォーマンスを発揮しようとがんばる参加者たちの役者バカぶりが、いっそう哀れを誘う。

先回のRd.8オートポリスで、#8 ARTA NSXが、#23 XANAVI Zに追突されたにもかかわらず、#23 にペナルティを科せられなかったばかりか、#8 と#23 の部品が同じように脱落しそうになっていても、#8 にしかペナルティが科せられなかった不公正なジャッジに引き続き、今回のRd.9富士においても、最初に、#36 TOM'S SCが、#1 ZENT SCにヒットし、そのあおりで、#1 が#8 に当たってしまったのにかかわらず、#8 だけがペナルティを受ける結果になってしまった。
それはもういい。いろいろ都合はあるにしろ、そういう人たちに任せている参加者の責任でもあるのだから、一方的に文句を言い続けても、感性と見識の次元の異なる人たちの耳には届かないだろうし、どうしていいかも解らないだろう。
しかし問題は、悪性の喉頭癌のように、喉元に違和感を感じている間にも、方々に転移を始めている癌細胞のように、本人の自覚症状は希薄なままでも、末期に向かってまっしぐらという現状を誰も切実に認識していないという能天気な現状だろう。

いままで、この種の問題が発生したときには、童夢としては、抜本的な改善策を放置したまま、瑣末な事象だけを主催者や競技役員に訴えることは無意味であるという立場から、無抵抗主義を旨としてきたが、スポンサーやHONDAの反応は違っていた。
いつもなら、「おかしい!」「納得できない!」「提訴しなくっちゃ!」と盛り上がることになるのだが、今回は両者とも、「開いた口がふさがりませんね」とか、「何を言っても無駄でしょう」とか大変に醒めた反応で、私は、このような主要関係者のリアクションの中に、ちらっと終わりの始まりを見たような気がしてならない。

言っておくが、私も今まで、何も努力しないで文句ばかり言ってきたわけではなく、FNに関してもJAFに関してもSGTCに関しても、かなりの時間を割いて改善に向けての努力をしてきたつもりであり、その挙句、力及ばすギブアップした結果、こうして、独り言のようにぶつぶつ言うだけの隠居老人となっているが、FNにおいてもSGTCにおいても、その愚痴ばっかしの隠居老人の言ってきたことが次々と現実となりつつある現状を鑑みるに、レース界の当事者達って、いったい何を考えているんだろう?どういうつもりで毎回レースにやってくるんだろうとまで思ってしまう。
一年ほど前に、これでは駄目になると焦った私は、自動車メーカー主導の体制を構築しようと話し合いのテーブルをセッティングしたが、これも、その後は続かなかったようで自然消滅している。原因はいろいろあるだろうが、長らくこの世界にどっぷりの我々と、この世界に仮住まいしている自動車メーカーの担当者の認識には大きな落差があることが一つの要因であることは確かだ。
しかし、事ここに至っては手をこまねいて座死を待つという訳には行かないが、おっくうで面倒で煩わしくてうっとうしくて骨の折れる仕事で、しかも一番の問題は、誰にも要請も期待もされていないことである。とは言え、日本のレース界の死活問題でもあるので、なんとかしなくてはならないとは思っている。

難しい問題は、一度、原理原則から考え直してみると問題点に気がつくことが多いが、私は基本的に、SGTCの改善は比較的容易な事だと考えている。

●採算性-運営していけるのか?
GT-Aは赤字赤字と言い続けているが、これは浪費が過ぎるだけの話で、充分に採算は取れる。理由は、観客動員を含め、もし、これだけの規模の自動車レースが採算が取れないとしたら、すなわち、日本ではどんな自動車レースも成立しないと言うことであり、その時は、あっさりと諦めよう。

●予算規模の削減-参加者(自動車メーカー)の負担を大幅に削減する。
外観が乗用車の割には内容的に自由度が高すぎて非常にアンバランスであり、誰にも見えない解らないところに湯水のように開発費を投入しないと勝ち残れないという馬鹿げたレギュレーションを改め、自動車メーカーの負担を大幅に削減し、細く長く安定して続けられるレースにする。

●参加車両-見ていて楽しい車種を投入。
参加可能な車種の規定が非現実的なので、もう販売していない車や不適当な車が目立つが、自動車メーカーが国際的なモーターショーに出品したコンセプトカーはベース車両として認めたらどうだろう?明らかにGTレースを意識したレーシングカーまがいのコンセプトカーなどを排除する決まりは必要だが。

●専門審判団-知識と見識と経験豊富なプロフェッショナルを育てる。
レーシングドライバーなどをリタイアした仲間を審判団として起用すればよい。レースを熟知している彼らのジャッジには、それなりに説得力があるだろうし、現役の人たちも判断に従いやすいだけの重みはあるだろう。なにより、長年、サーキットで親交を深めた仲間の顔がいつまでも見られるじゃないか。

●運営主体者-自動車メーカーの、より主体的な参加を促す。
一般の経済原理から見ても、一番多くのリスクを負担しているところの意思が尊重されるべきで、現状のSGTCは、どう考えても、HONDAとTOYOTAとNISSANの投入する資金で成り立っているのは間違いないのだから、この三社の意見が最も反映される運営形態をとるべきである。ただし、この三社の担当者といえども、一定期間で移動していく宿命のサラリーマンなので、この三社の意思を尊重できる、メーカー系のモータースポーツ組織などが代理する必要があるだろうが。

●レース運営方法-運営体制はミニマムに。
安い費用で参戦できる仕組みは必要だが、基本的にはレースに参戦する予算は自動車メーカーや各種スポンサーなどでまかない、そのレースパッケージをサーキットやレースの主催団体に売るという形がいいのではないだろうか?(いくらかは別として)

●ハンデキャップ制度の見直し-シンプルかつ努力の報われる範囲のハンデ。
ハンデキャップとは、基本的には、体格とか年齢の差などの不平等な部分を是正するためのものであり、技術的努力の成功の報酬が重りでは、技術の戦いである自動車レースは成立しない。SGTCの参加車両として、TOYOTAがLEXUSを選び、HONDAがNSXを選んだ場合、ベース車の車重や空力面での優位性などを勘案してNSXにハンデを課せられるのは納得できるが、そのハンデを克服して勝ち続けるのがレースであり、その技術的努力に更なるハンデを課すことはあってはならない。
また、先回の富士の第9戦での#18のウェイトハンデは105Kgだったから、100Kg以上のハンデの車両は、リストリクターを一段階小さくする代わりに50Kgの減量が許されるという選択肢もあったが、ラップシュミレーションでの結果から判断し、そのままの105Kgを選択した。そのシュミレーシヨン結果では、#18のラップタイムは1分34秒8くらいで、スーパーラップに届くか届かないかのギリギリの線であり、打つ手は無い。つまり、頭から10位前後をうろちょろするために参加するだけで、映画で言えばエキストラ、賑やかしのようなものである。あまりに失礼な扱いといわざるを得ないだろう。ハンデは努力の結果、克服できる可能性の範囲に無ければならない。

●GT-300-世界との接点。
SGTCのレギュレーションはあまりに特殊で、参加するには特別な車両を製作するなどして入手しなければならないが、少し性能調整の必要はあるにしろ、FIA-GTの導入を検討してみてはどうだろう?そうすれば、海外のFIA-GT用の車両も導入できるし、日本で開発したGT-300用の車両で海外のレースにもチャレンジできるし、FIA-GTを招聘して、日欧戦のようなイベントも出来るし、いろいろ世界との接点が広がるのではないだろうか。

●参加者の権利-参加者の価値の向上

各種の改革により、SGTCの振興が成功したと仮定した場合、このレースに参加する権利に価値を生じさせたい。現状では、エントリーすれば誰でも参加できるが、今までの実績を考慮して、選ばれたチームには参加権を付与する。この参加権は、一定の基準を満たすチーム間では売買できるものとしておけば、現在は無価値であるSGTCに参加するという権利に価値が生じ、チームの財産となる可能性がある。個々のチームの実績により、クレデンシャルの枚数が多いとかピットの場所が良いとか(しよぼいか?)各種の得点を付与しておけば、個々の参加権に価値の流動性が生じて、1億円くらいで売れるようになるかもしれない。

まあ、言い出したらきりが無いが、私は、少しの努力で素晴らしいレースになると思っているし、ビジネスとしても、是非、ずっと続いてほしいと願っている。手遅れになる前に、関係各位の覚醒を期待している。