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Feb.18.2009 「僕たちの近くにあるGrayishな世界」

最近、私は自動車を運転することに非常にストレスを感じるようになっている。市街地を走っていると、幹線道路にもかかわらず一定の間隔で車が駐車していて左車線をキープできない。だからと言って、みんなが右側ばかりを走っていたら、すべての道路は一車線となってしまうし、その中に混じって漫然と右側を走り続けることには抵抗があるので、少し空いている区間があると左車線に移るようにしているが、そうするとすぐに駐車車両にひっかかり右に戻らなくてはならない。結果、右側を走り続けている人たちから見ると、何をうろちょろと迷惑な運転をしているんだ!と思われてしまいそうで、ここではいかに努力してもジェントルな走り方は出来ない。こういう時は、駐車している車に向けてトリガーを引いたら消滅してしまうような電子銃があったら打ちまくってやるぞ!と思いながら走っている。
また、高速道路を走っている時も、延々と右側を走り続けないといけないケースが多いが、こう言う場合は、たいがい先頭に、善良そうなおじいさんや普通のおばちゃんなどが、低速で右側を走り続けることに何の疑問も持たないまま居座っている。彼らは、たまりかねて左側から追い越していく人たちに向かって、「そんなに飛ばしたら危ないよ」くらいの気持ちで見ていることだろう。

最近、何でこんな事を感じるようになってきたのかというと、それは、私が年老いたからである。若い頃は、それこそ走っている自動車は動くシケインのようなものだったし、駐車車両なんかはマリオカートのバナナのようなものだったから、その隙間を縫って激走していた私には、適度に刺激的な障害物のようなものだった。
高速道路でも、パッシングしながら圧倒的な速度差で迫れば大抵の車はどいてくれたが、歳を食ってとろとろと走るようになってからは、ジェントルな運転を心掛けようとすればするほど、自分自身がその動くシケインの一つとなって追越車線を走り続けざるを得ない状況がものすごくストレスになって、運転することがとても苦痛になってきている。

かと言って、新幹線に乗ってもストレスだらけだ。私は京都の自宅から米原の童夢までは新幹線で通っているが、京都駅のホームでは、駅員が、朝から晩まで強い口調で、「手すりに触るな、黄色の線の内側を歩け」と怒鳴り続けている。しかしこれはおかしな話で、手すりというものは、そこから先に入ってはいけないという物理的障害であることは解るが、それに触っていいものか悪いものかは判断できない。もし、JRが触ってほしくないと思っているのなら、手すりにその旨を明確に表記し、そのうえで、なおかつ触る人に注意をすべきであり、こういうローカルルールを知らない人にまで強い口調で注意を促すような筋合いの話ではない。また、黄色の線の内側というのは点字ブロックの内側のことであり、通常、この点字ブロックというのは視力の不自由な人が歩くために施設されたものであり、立入禁止を表しているものではない。なにより、健常者に点字ブロックの内側を歩けと指示して、視力障害者にはその上、すなわち、列車に近い側を歩けというのか?
昔、三島駅でホームにいた乗客が列車に巻き込まれて亡くなったことがある。それ以来、三島駅では、「そこの黄色い服、離れなさい!」とか「子供の手を持ちなさい!」とか、それはもう頭ごなしの命令口調で、どMの女性なんかは、駅のベンチに座っているだけでかなり興奮できるくらいの高飛車なアナウンスが延々と続く。
まるで、人が死んだのは本人の不注意で我々に非はないという責任転嫁を言い続けているようで非常に聞き苦しく、私は三島駅が大嫌いだ。
その上、この頃になって、駅に到着する前になると「倒した背もたれを元に戻してください」と車内アナウンスが流れる。これなどは、食堂に行って「使ったテーブルはきれいに拭いて椅子は元の位置に戻して出て行って」と言われているようなもので、誰が二度と来るか!と席を蹴るような話だが、新幹線はそうもいかないのが悔しいところである。
私は今までは背もたれを戻していたが、最近は、後ろに人がいなければ思いっきり倒したまま降りることにしている。

しかし、こんなストレスとは比べ物にならないほどの重圧となっているのが、最近のマスコミの、ゴシップに徹したというか庶民にこびたというか、なんとも下卑た視線からの執拗な報道姿勢で、見ていて寒イボが立つほど気持ち悪くなってくる。
「麻生首相が頻繁に一流ホテルのバーを利用している」という報道は、最初のうち私は、「一国の首相がそんなみみっちいことをするな!」という話だと思っていたら、何と!!贅沢だって? 一流の料亭で呑みながら話をすれば最低でも10〜20万円は必要だろう。ちょっと芸妓でも呼んだ日にゃ、すぐに50〜80万円は請求されるだろう。
ホテルのバーなら、グラスワインやカクテル各種が1500円くらいのものだ。麻生首相が4〜5人で行って2〜3万円払う事を、貴重な公共電波を浪費して、やれ贅沢だの庶民感覚が無いだのと誹謗中傷するような報道を垂れ流すべき話なのか? 
また、年末年始にかけて、派遣切りの人たちの哀れで可哀そうな姿を嫌というほど見せつけられてきたが、派遣を切られたら、即刻、公園で寝なくてはならないような人たちを雇用していた企業というのは、いままでホームレスの救済をしていたということなのか?
いままで、そんな連中にまで仕事を与えていた企業というものは、その社会貢献度において、それはそれで称賛され感謝されるべきなのではないのか?
「格差社会」や「所得の格差」を批判的な視点から報道することが通常となっており、この種の話題に付きものの映像が子だくさん安アパートの極貧生活だが、たしか子供の頃は、こういうみじめな人生を送らないためにもしっかりと勉強して立派な大人になりなさいと言われ続けてきたのではなかったか?
格差のない世界というのは行き着くところは共産主義だ。真に公平平等な社会というのは、正当な努力が評価されて報われるというシステムが機能していなければならないし、ともすれば成功者が袋叩きにされがちな現在の風潮には、敗者弱者に媚びるような、とても卑しい心根が見え隠れしていて、根の部分で人々の向上心をスポイルしているのではないかと心配している。
以前、私が「2ちゃんねると語ろう」というコラムを書いた時に、多くの人たちから相手にしない方がいいよと注意を受けたが、基本的に今のTV報道なんかスタンスは全く2ちゃんねると変わらないし、それが、4ちゃんねるだったり6ちゃんねるだったりするだけの話だ。

モラルもマナーも技術力も見識も感性も、すべてのレベルが劣化しつつあるように思うが、もし、私が池に棲む鮒だったとしたら、子供の頃の清澄な水がだんだん濁ってきて、そろそろ息苦しさが限界に達しているという気分だ。
そんな泥沼では、清廉潔白な人を子供っぽいと言い、グレーな人を大人と言い、真黒な人をやり手と称するようだが、そういう意味では、私の知る限りの仲間内では最もお子ちゃまな2人が、現在、世間の逆風の真っただ中に晒されている。
この2人の共通点は、高潔な人格で夢をもち努力家で正義感にあふれ成功者で社会に貢献しているという点で、もしこの2人が、何らかの社会的制裁を受けることになるとしたら、私なんかは、即刻、無期懲役だ。
この2人に降りかかっている災難は、私にとっては信じられない奇異な事件であり、とても常識で推し量れる出来事ではないし在り得ない話ではあるが、その在り得ない話が身近で起きているのだから、気分としては、UFOが目の前に着陸しツチノコが足下を跳ねまわっているような状況だ。
しかし現実問題としては、種を明かせば、UFOは映画の大道具だったり、ツチノコは大きなカエルを食いすぎた蛇だったりするもので、これらの出来事にも、当然、原因も理由もあるし、そこに至るプロセスを見聞きしてきた者としては、ある程度の推測は可能だ。

さて、くどくどしい前振りを長々と続けていても埒があかないが、もともとおかしな話なんだから、こんなことを書いていると、下手したら変な人と思われるかもしれないし、何よりも、この二つの出来事に共通するキーワードは「報復」であり、こんな事を言っている私にだって、いつ魔の手が伸びるかもしれない。レース界を揶揄することは簡単だが、ここから先は大変な勇気を振り絞って書かざるを得ないから、なんとなく本題に入りづらく、ずるずると前振りが続いていたという訳だ。

さて、それはかなり以前の話となるが、ある国会議員によって、公益法人である日本自動車連盟(JAF)の不正蓄財などが国会で追及され解体の危機に瀕していた。常日頃、JAFを不必要悪と称しその存在を問題視している私には興味ある話題だったが、ある日、JAFが整理の一環としてASN(各国に置かれた自動車レースを司るFIAの傘下機関)を放棄して訳のわからない団体に丸投げすることを画策しているという噂が聞こえてきた。
この件を国会で追及していた議員からの情報で、さるレース界の重鎮に伝えられた。
それは一大事とレース界の主要メンバー数十名をかき集めて反対運動を開始したが、直後、その旗振り役であったレース界の重鎮が(私は幸いにもパシリだった)、警察から天下りしたJAFのトップに呼び出され、「あなたは警察を敵に回すつもりですか?」とか、それ以上、ちょっと考えられないような恫喝を受け、ビビッたレース界の重鎮はすぐにギブアップしてしまったから、この反対運動は2回のミーティングで挫折してしまった。
不思議なことに、数百億円にものぼるような巨額の不正蓄財などの大事件も、それ以来、報道もされなくなり追及していた議員も下野し急速に終結してしまったし、その後、JAFが何事もなく存在し続けていることはご存知の通りだ。まるで照明のスイッチを切ったような急速な沈静化はどう考えても不自然だったが、事の成り行きを知っていた旗振り役であったレース界の重鎮他数名には、その不自然な沈静化がとても怖い出来事に映っていたし、かなりの不安感を抱いたものだ。

まあ、そんな出来事があってしばらくの後、無限の本田博俊社長に晴天の霹靂のような不幸が舞い込んできた。
博ちゃんは、どこからどう見ても単純な詐欺の被害者にしか過ぎないのに、脱税の容疑で逮捕されて長期にわたって勾留されるは、実刑の判決が出たり一転無罪になったり控訴されたり、民事では無罪が確定したりと、法解釈上もはなはだあやふやな状況にもかかわらず、何が何でも罪を着せようとする無理やりな力が働いているとしか思えない不可解な状況が続いているし、本田宗一郎氏の子息という話題性も充分なのに、まるで申し合わせたようにメディア上では話題にならない。
みんな息をひそめたようなおどろおどろしい状況の中で、粛々と罪人を捏造する作業が進行しているという感じだ。
そんな訳で、現在、博ちゃんは冤罪と戦う毎日を過ごしているが、普通、親友が冤罪に泣いていたら、友としては無実を証明するために最大限の協力をするのが当然だろう。
しかし博ちゃんは、当初より多くを語らず仲間に何も求めず、どちらかと言えば殻に閉じこもったように孤独な戦いに全てを懸けて司法に挑み続けている。
友達に迷惑をかけないというような配慮よりも、もっと頑なな壁を感じるほど排他的な雰囲気がずっと気になっていたが、9ヶ月も拘留されていたことが影響しているのか、とにかく冤罪を晴らすまでは世間と断絶すると誓っているのか、とにかく、取りつく島もないという感じで疎遠になっている。
穿った見方をすれば、何か得体のしれない魔物から私を遠ざけようとしてくれているような気もするが、いったい、その魔物って何なんだろう?

本田博俊という人、夢の実現に向けての浪費はいくらでもできても、私利私欲のために法を犯すような種類の人たちとは対極にある高潔な人柄で、レース仲間としては良いとしても、遊び仲間としては少々堅物すぎてつまらないほどの犯罪とは縁遠い次元の人だ。
私の40数年来の付き合いによる印象を裁判に反映しろとは言わないが、博ちゃんは誰も見ていない夜道で1億円を拾っても、何も迷わずに交番に届けるタイプの人間だし、第一、あの本田宗一郎氏の遺産相続している人なんだから金に困っている訳もない。
私は、二人とも老い先短いのだから、こうなったら適当に認めて執行猶予を取り付けて、余生は二人で最高のスポーツカーを作って楽しもうよと妥協することを提案しているが、博ちゃんは、「お前にこの悔しさが解るものか!」と、頑なに冤罪を晴らすことに一生を賭けると譲らないものだから、私は傍観しているしかない。

そして、まるで弱者貧者の目線から見ることのみが正義であると思い込んでいるような偏見に満ちたメディアの視線が、今日も、権力を持たない相手だけを狙い撃ちにして袋叩きにしている。弱者貧者の味方なんだから当然ターゲットは成功者だ。
ここのところ話題になっている漢字検定の大久保君も私の親友だが、私から見る限り、これは単純に、文部科学省の天下りを受け入れない漢検に対する文科省の報復であり見せしめにしか過ぎないのに、誰ひとりとしてそれに言及する人もいないし、文科省がリークする、供養塔がどうしたの漢字資料館がどうしたの自動車レースがどうしたのと、瑣末なことを取り上げて悪人をでっち上げているだけだ。つまり、メディアはこぞって天下りの就職先の確保に協力しているにすぎない。
そもそも、天下りの食い扶持稼ぎに年間12兆円以上も税金を浪費している役人の余禄獲得システムの公益法人の中で、どれほどの団体がまともに機能して公益に寄与していると考えているのだ? 国語力の低下が危惧されている昨今、もし脳無しの役人どもが税金を使って青少年の漢字能力を向上させる施策を考えたとしたら、どれほどの税金が投入されて、そこにどれだけの役人が天下りするか想像がつくか?
私は現実的に、これほど公益に寄与している公益法人は他に知らないし、何で、寄ってたかって、供養塔まで持ち出して叩き潰そうとするのか、全くその真意が理解できない。
公益法人として税制面で優遇されているんだから儲けるなと言っても、基本的には事業体なのだから業容の拡大や安定的な運営には経営能力が必要だし資金も必要なら運転資金も必要だ。まして、赤字になっても誰も助けてくれる訳ではないのだから、経営者たるもの、当然、それなりの対策を講じていてしかるべきものだ。第一、当初は公益法人である方が学校などの教育現場に受け入れられやすいという状況はあったとしても、利益のみを追求するのであれば、目処がついたところで会社化すれば良いだけの話で、年間数億円税金を払えば済む話だ。
大久保君も、荒廃の進む市立動物園の活性化を図る「楽しい動物園を作る会」をリードしたり、現在美術作家を後押しする「アートウォーク」を主催したり、子供に世界の名画を鑑賞させる「子供と楽しむ展覧会」を後援したり、クラシックカー・ラリーのイベントに協力したりと、なんの得にもならない文化的なボランティア活動には熱心だが、私から見る限り、夜遊びもしない酒も飲めない堅物で、はなはだ付き合いにくい人種だ。
たまたま夜に引っ張り出しても、甘党のある店でお茶を飲んで11時には帰ってしまうというつまらない男だが、朝は8時には会社に出ているという仕事人間で、今、TVで袋叩きにあっている現状がどうしても納得がいかない。
もっとも頭に来るのが、すべてのメディアが自動車レースのスポンサーやレースクィンを単なる道楽や浪費の対象としか扱っていないことであり、この世界にも事業として真摯に取り組んでいる人たちが居ることを全く意識していない報道姿勢だ。

このように、私の友達の中でも、特にまじめで堅物で常識的で正義感にあふれた好漢2人が、それぞれケースは違うものの、権力による「報復」というキーワードによって大きな災難に遭遇している現実は、なんとも、おどろおどろしく由々しき問題だが、さりとて、我々がどうあがこうが対抗手段を持たないのも現実だ。
それにしても、魔物の圧力に屈して押し黙るメディアや、役人の尻馬に乗って魔女狩りに奔走するメディアの姿勢は何とも見苦しい。
これらの偏った情報ばかりがあふれるこの日常で、その奥にある真実をあぶりだす感性を育むことは大変に難しいことだが、そんな似非情報の中から、出来る限りの真実を推測し裏付けを取る気構えが必要不可欠であり、表面だけを眺めて情報を鵜呑みにしていては、結局、誰かの思う壺にはまっているだけだという事実を思い知るべきだろう。

私には信じられない別世界の出来事のようだが、今、本田博俊と大久保 浩、この非常に身近で親しい友達が、それぞれ、無実の罪を着せられたり、謂れのない誹謗中傷を受け続けているのは現実だ。彼らも、報道内容について抗弁したい気持ちは山々だと思うが、本人たちも、どこに何を訴えたところで状況はかえって悪化するだけだろうと思っているようで、黙して時の過ぎるのを待っている。
だから今まで私も何も言わないようにしていたが、毎日毎日、いろいろなメディアから問い合わせや取材が殺到し、その質問内容は決まって、やれ「レースクィンの費用」とか、「レースの年間予算」とか、「レースクィンに彼女は居るか」とか、「年間、何回くらいレースに来ていたか」とか、あからさまに誹謗中傷のネタ探しにしか過ぎないことは明白で、見事に誰も、天下り問題や大久保君の文化的活動の業績などについては無関心で、メディアの全てがまるでハイエナ軍団のように見えてきて辟易する。
だから、せめて私が、少しでも実態を知らせるべきだとは思うが、こんな事を書いていると、私にも、いつどんな災難が降りかかってくるかわからない。
まあ、私の場合、埃が服を着て歩いているようなものだから、博ちゃんや大久保君よりも罠にははめやすいと思うが、できればもう高齢なので起訴猶予くらいでお願いしたいものだ。