童夢
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test record
F105 over view
1996年当時、HPに掲載したレポートの復刻版です。
cover page
P1 - P2
P3 - P4
P5 - P6
”絵本”のイメージで作られた当時のプロポーザルを編集し掲載しています。
 
童夢F105無限開発レポート VOL.7(01.Nov.1996)

レース当日、私がサーキットに居るとそのレースには勝てないと言うジンクスがあります。
私はもともとレースそのものにはあまり興味がない方なので早く帰る口実に自分で流布したという噂もありますが、今年は何かとサーキットでの用事が多くレースへの出席率が高かったおかげで、当然勝てるはずの中野信治が ついに一勝も出来なかった事実を見ても、自分でもまんざら根拠のない噂でもないかなと思ってみたり、中野のお母さんなんかは私がレース直前までサーキットに居るとなぜかすがるような眼差しで私の方を見つめるし、チー ムの手代(てしろ)に午後は帰るかも知れないと言っただけできっちりタクシーが手配されていたり、これはもうジンクスというよりは事実として認知されているようで、そんな周囲の期待に応えて私の不ヅキのオーラはますますパワーを充実させてきているようです。

30日の夜は、いよいよ明日に控えたタイムアタックの作戦会議を平田町の「遊」という名前の会議室で深夜まで行い、おかげで31日の朝は少しゆっくり目にサーキットに向かいましたが、朝の報告では予定していた1分46秒に 早期に到達したのでもう少しセッティングを煮つめたところでソフト系タイヤでのタイムアタックを開始するとの事、急いで出かけるサーキットホテル前のロータリーまで聞こえている「童夢F105無限」の咆哮も元気いっぱいです。
第一コーナー手前のシフトダウン、S字の通過音を確かめながら9番ゲートから入場し、その先を左にカーブしてメインストレートのガードをくぐるとそこが パドック、その時不意にエキゾースト・ノートが途切れました。
少々の不安感を抱きながらピット内を見ると全員がモニターを見上げています。
不安感は益々募りますが、まあ、脇阪のスピンもあるし、毅もどこかに突っ込んでいるかも知れないと思いながらモニターを見上げると白煙につつまれたF105が消火液を浴びているではありませんか。
瞬間、私は'80年のセブリングのレースを思い出しました。
若さにまかせてアメリカのレースに挑戦したTOM'Sの舘と私たちは、真黒なTOM'S童夢セリカターボを持ち込み初日のプラクティスに臨みましたが、マ シンは1周目からいくら待っても帰ってきません。
他のドライバーに聞いてもコース上にストップしていないと言います。
実はその頃、ドライバーの舘は飛行場跡のフルフラットな敷地に設営されたコースを外れ、早い話が迷子になっていた訳ですが、行けども行けども舗装面が続き復帰できません。
その内マシンはオーバーヒートからついに出火、そんな舘の苦労はつゆ知らずピットでヤキモキ待つ私たちの前に純白の見知らぬマシンがゆるゆると停止しました。
何だ!他人のピット前に止まりやがってと覗き込むと舘が乗っているではありませんか。
よく見るとその純白のマシンは消火液で変色したセリカターボです。なぜこの話を急に思い出したかと言うと、この時は急いで消火液を洗い流して予選には出場できたからで、そんな楽観的な事でも考えていないと正視 するにはかなり辛い画面がそのモニターには映し出されていました。

さて、ここで今回のテストに至る経過を簡単に説明すると、今までのテスト結果から判断するに路面の出来ていない専有走行ではレース中のタイムと比べると2~3秒の差が生じる為にタイムアタックは出来ないし、かと言って F1GPが開催されていないコースでは比較のしようがないので、結局何等かのレースが開催された直後の鈴鹿サーキットを借りるしかチャンスは無い訳ですが、一方、鈴鹿サーキット側もスケジュールが空いているのは日本GP から17日間も時間の経った10月30日と31日だけで、いずれにしても私たちに選択の余地はなく、悪コンディション承知でこの日に決めざるを得なかっ た訳です。
その為にコース作り要員としてF3とF3000を同時に走行させる事にして、台数は多ければ多い程良いのでスーパーアグリと5ZIGENに声をかけたので すが、直後にインターテックを控えている為に結局、5ZIGENだけが協力してくれる事になりました。
コース清掃車は童夢からF3を1台、F3000を2台、5ZIGENからはF3000を2台参加させ、掃除人夫として山本勝巳、脇阪兄弟、高橋毅と鈴鹿サーキット 主宰のレーシングスクールSRS-Fの卒業生である伊藤大輔君の体験走行を加え、5ZIGENはミカ・サロ推薦の新人ドライバー、リスト・バータネンのオ ーディションと充実した清掃体制を整え万全を期しています。
コースの清掃って何の事だとお思いの方の為に少し補足説明しておきますと、レースの開催されていない時期のレーシングトラックは周囲のグラベルベッドの砂やタイヤカスが風で運ばれて大変にスリッピーな状態になってい ますが、レーシングカーが走行する事によってそのタイヤの溶けたゴムがこれらのほこりを吸収し、また遠心力や風圧により走行ライン外に排出されてきれいな走行ラインが出来上がります。
経験がないので判断できませんが、いわゆる予選中のようなコンディションを作るにはやはり予選に参加している位の台数が走行する必要があると思いますし、今回の台数でどれ程の効果が得られるものかは全く未知数です が、もちろん無いよりははるかにマシである事は確かです。

一番問題だったのはテスト・ドライバーですが、直前に中野信治に喜ばしき寝返りを受けた私たちは実際は結構途方に暮れていました。
当初、マルコ・アピチェラをメインのテストドライバーに予定していたものの、無限の本田社長からの無言のプレッシャーを受け中野の急速育成の為に途中からマルコを下ろしていましたから今更ちょっと頼み辛いし、セミオートマ、ステップドフロアの経験者という事で右京に問い合わせてみたら丁度その時は重要な要件でヨーロッパとの事、それではと日頃から大いなる期待と疑問をもって観察している話題のドライバーに乗せてみて、その走行データをロガーにしまい込み、あとでじっくり分析してやろうと思ったのですが魂胆を見透かされたのか?N/G、という訳で一般的な基準から適正なドライバ ーを選択する事になりましたが、まあそうなると私としては服部尚貴君しかいないでしょう。私の印象としては速い上に旨い、その上冷静でセットアップ能力にも長けていそうだが、新しいマシンへの適応にやや時間がかかる タイプという感じです。
もちろんこれも短所というよりはマシンを壊さない点においては長所と言えるものであり、大切なF105を委ねるのですからその点でもうってつけです。

実は私は随分以前から服部に眼を付けていたのですが、由良拓也があんまり可愛がっているものだから諦めた経緯があり、仕事としては今回が初顔合となりますから楽しみです。

テスト時間は2日間で5時間、ニュータイヤは6セット用意しましたが、予算が潤沢であればもっといくらでもほしいところです。

10月29日、F105を鈴鹿サーキットのピットに搬入し一般的なチェックを開始したところ突然セミオートマを制御しているコンピューターと車外のホストコン ピューター間の通信が途絶えてしまい、ウンともスンとも作動しなくなってしまいました。
コネクター回りやコンピューターの見える範囲からの観察や、いろいろなチェック項目を試してみても何の反応も得られません。
そろそろ6時間も経過した頃、いちかばちかコンピューターの本体をバラしてみようという事になりました。
ご存知のようにバラしたところで何層にも積まれた基盤にはICチップなどが半田付けされているだけでどこかが外れたり折れたりという事はある訳もなく、眺めているだけで空しさも募りますが、走る前からリタイヤとはあまりにも 情けないので誰もギブアップを宣言しません。
もう夜も12時を過ぎてしまい、調べられるところは調べつくしたので、もう成す術もありません。
この際に私たちに選べる道はもう一度元の状態に組み直して2~3度コンピューターのケースを叩いてからメインスイッチをONする事だけです。
松本監督の「うちのテレビでも叩けば映りが良くなる」とかいう空しい冗談に愛想笑いで応えながらスイッチを入れるとホストコンピューターのモニターに何やら怪しげな文字が浮かび上がってくるではありませんか。それはまるで古代からの伝言を伝えるロゼッタストーンの文字列のように、また北のスパイの暗号のように訳が解りませんが、何か俺は生きているぞという必死のメ ッセージが伝わってくるようで、思わずモニターにしっかりしろと叫びたくなるような一瞬でした。
その内、文字と記号の羅列が少しづつ意味を示し出し、カーソルもしっかりとした脈動を打ち始め、何だかとてもアナログっぽい経過を経て無事コンピューターは生き返ったのですが、出張から鈴鹿へ向かう途中の奥チーフデザ イナーが心配していると思うので直ちに報告をしました。「ただ今無事復旧した。原因はコンセントのゆるみだ」、まったく!電気スタンドじゃあるまいし・・・。

30日の朝、中古のBコンパウンドで走行を開始しましたが当面は服部の慣熟走行を中心におおまかなセッティングを進めてゆきます。しかし、F3000やF3のタイムが当初の予想より3秒位も遅く路面のコンディシ ョンが心配です。
走り出し7Lapで1分52秒、案の上、いくら慣熟と言えどもタイムが遅すぎます。
9月29日、フォーミュラ・ニッポン第9戦直後の夕方、エンジンチェックの為に4Lapだけ軽く流して1分48秒台が出ていますし、中野も踏めばこのままで45 秒は固いと言っていましたから服部の不慣れや路面状況を考えてもごく早期に48秒を割るものと考えていただけにこうなると世間から甘い目の設定と言われている1分43秒も大きな壁になるかも知れません。
それでも13Lap目に1分48秒83をマーク、清掃車の活躍もあって路面もやや良くなりつつあるようです。
そのこれからという時に服部はシフトダウン時のショックが大きくなったとピットイン、以前にも発生したブリッパーの爪の破損が原因で修理に時間を要する為に足でブリッピングを行いながらセットアップを進めようと試みました が困難な為に19Lapで午前のテストを終了としました。

午後は3時からこれまた中古のCコンパウンドでスタート、セットアップを煮詰めて行きますがハンドリングの向上に比較してタイムの延びがいまいちです。
まあこれはドライバーの性格にもよりますから、多分服部の場合はもっとセットアップが煮詰まって、もっとマシンに信頼感を持てるようになり、カーボンブレーキの止まり具合やステップドフロアの滑り具合に慣れた頃にタイムはググーンと向上すると思われるので、ここではもう少し慣熟&セットアップを続ける事にします。
ところが13Lap目のシケイン出口においてリアトップウィッシュボーンの内側後端のロッドエンドのネジ部が破損し走行は中止となりました。

手前の130Rで発生していたらと考えるとゾッとしますが、幸いにも低速コーナーでマシンもスルスルと止まるような状態であり、ドライバーも無事で何よ りでした。
今更ロッドエンドが折れるなんて計算上は考えにくいところですが、世の中、そうそう計算ばかりでは成り立たないところもあり、構造上、わずかに曲げ方向の力も加わるところでもあるので急遽設変を行い、徹夜で対策部品 を製作する事になりました。
部品は早朝の5時に完成、組付け調整が終わった頃には走行時間が迫っていました。

10月31日午前の走行は9時から中古のCコンパウンドでスタート、セッティングはまだまだ不満がいっぱいですがそろそろ中古タイヤも使い切ってきた為 にまとめに入らなくてはなりません。
6Lap目に1分49秒58、7Lap目に48秒04が出たところでF3000をドライブ中の脇阪薫一掃除夫がスピンで赤旗を出し中止となりました。
中古タイヤも底をついたのでCコンパウンドのニュータイヤを投入しながらセッティングを続ける事にして9時32分から走行開始、13Lap目に1分46秒27を マークしたので午後はDコンパウンドを中心とした全ニュータイヤを投入して連続タイムアタックを行う事にした矢先、20Lap目に逆バンクで出火、ストッ プとなりました。

原因はオイルキャップの緩みからコーナー毎にオイルが吹き出し、マフラーの熱により出火したものと思われますが、よく締めてあれば緩むものではありませんから簡単に言えば締め忘れです。
今回の3大トラブルはコンセントの緩みと難物部品の破損とキャップの締め忘れという事になりますが、マシンがF1だけにトラブルにしても出来ればもう少し高尚な原因でお願いしたいものです。

もうそろそろ今までのように設計者が主体となり、メカニックの手を借りるというスタイルでは運営が困難になってきています。
このインターバルを利用して今後の開発体制を見直す必要があるでしょう。また、F105も中野がテストを行っていた時点ではかなり煮詰まっているように思えたのですが、今回、服部がドライブするとまだまだいっぱいテストをしたい項目やアイテムが続出してきます。
つまり思っていた程は完成度は高くなかったのかも知れませんが、それならそれで私たちにとってはまだまだ楽しめるおもちゃだと言う事です。
しかし、あのままテストが続いていれば目標の1分43秒は達成できたでしょう。
いや、出来たとして次に進みましょう。
今後はもう少し体制を整えると共に安定したテストドライバーの確保やマシンの改良にも努力し、次回のタイムアタックは、あ、あの目標!に向けて挑戦してみたいと考えています。
あの目標というのが先日のあの時のあのタイムである事を公言するのはもう少しチーフデザイナーの奥と相談してからにしたいと思いますが、それにはエンジンを変えないとならないし、そうなるとモノコックもギアボックスも新 規製作となるし、バイト料とおこずかいを貯めてレーシングカーを造っていた昭和40年代を彷彿とさせる環境でF105の開発を続けている私たちにとって 簡単に方針を決定できる問題ではありませんが、同時にバイト料とおこずかいを貯めてレーシングカーを造っていた頃の何が何でも造りたいという一心不乱な情熱も蘇りつつあり、まだまだこれからも茨の道は続きそうです。
F105の損傷範囲については現在調査中ですが、修理にはかなり時間を要しそうであり、また、鈴鹿サーキットにも空き時間はなく、どうやら次回のタイムアタックは来春まで待たざるを得ない状況です。
それまでには私のツキも回復しているでしょうか?
春先には事前チェックの為にラスベガスへでも行こうかと考えています。