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Aug.04.2009 クルマとモータースポーツの明日
GAZOO

第1回「日本人宇宙飛行士の凱旋パレード」

私は、華々しく報じられる日本人宇宙飛行士の活躍ぶりを見るたびに苦々しい気分になると共に、日本の自動車レースの 現状が重なって見えてくる。
いくら日本人宇宙飛行士がメダカを飼育したり紙飛行機を飛ばしてみたりしても、その日本人宇宙飛行士が宇宙に行けるだけの技術は外国に頼り切っての話で、 宇宙に行くだけならロシアに行けば20億円でソューズのシートが買える。
スペースシャトルが日本製でないことや、パソコンの中身が全て外国製であることや、自衛隊の戦闘機がアメリカの技術で作られている事などを恥と感じたりプ ライドを傷つけられたりする感覚は、最早、日本国民としては古き良き時代の遺物なのだろうか?

HONDAは過去において2回もF1へ挑戦してエンジンの優秀性を世界に知らしめたものの、その挙句の選択が、3 回目のF1挑戦における海外技術への丸投げである。
TOYOTAも自社の社員だから独自技術と称しながらも、その実体は、全てを外国人の経験者に頼ってのスタートだった。
私は未だに、この両社がF1に求めたものが何だったのか理解できていない。しかし結果的に、この両社が今まで海外に流出させた莫大な予算の対費用効果がほ とんど無に等しいであろうことは想像に難くないし、海外の産業を潤し技術の向上に寄与した貢献度は計り知れないが、その一方、日本の技術と産業をないがし ろにして疲弊させていった愚かなる施策のつけは、現状、じりじりと国内のレース界の体力低下として表面化しつつあり、そのうち、外国製の同じ形のレーシン グカーで走り回るだけしか能のない日本の自動車レースもどきの見世物は、その存在理由の説明すらおぼつかなくなって、自動車レースそのものの価値を貶める 最大の要因となっていくだろう。

トップガンのパイロットが手を前後させて離陸の合図をするシーンはたまらなくカッコいいが、それは国家の安全を担 うという重責を負っての必然だからで、これが遊覧飛行のパイロットなら、カッコつけていずに早く飛べ!ということになる。
近年のルマン24時間レースではヂーゼルエンジンしか勝てない状況が定着しており、AUDIやPeugeotが勝ち続けている。
これは、元をたどれば、温暖化やエコに対してヂーゼルエンジンの優位性を主張するヨーロッパのプロパガンダと言えるが、案の定、ヨーロッパではヂーゼルエ ンジンへの評価は大きく変化している。そういう国家戦略とも言える重大な任務をもって戦うからこそ、レーシングカーにもドライバーにも重大で揺るぎのない 存在理由が生じ、自動車レースという産業構造も成立する。一方、外国製の同じ形のレーシングカーで走り回るだけしか能のない日本の自動車レース界では、ド ライバーのスタート前の近寄りがたい緊張感すらも滑稽に見えて、「しょせんお遊びなんだからリラックスしろよ」としか言いようがない。
その上、ハイブリッドで勝てるレーシングカーを開発する技術も(童夢以外には)無く、ACOに、ハイブリッドが勝てるレギュレーションを導入させるような 政治力やロビー活動のノウハウも育っていない、何ともあきれ果てるほどのドライバー天国が日本の自動車レースの現実だ。

私は、一貫して「自動車レースは自動車開発技術の戦いである」と言い続けてきたが、一方、レース界も自動車メー カーも、ドライバー育成ビジネスだけを自動車レースと思いこんでお金をつぎ込んできた結果が現在の日本の自動車レースの実態であり、国内の産業の発展や技 術者の育成なども全く度外視した、単にドライバーが走り回るだけの非常に傲慢なレースとなってしまっている。
掲載を断られなかったら、次回から、もう少し核心に触れた話をしたいと思うが、私がこういう話をするとドライバーと技術者の覇権争いのように受け止める人 が多いのは困った事だ。そもそも、そのように問題を矮小化すること自体が見識不足であり自動車レースの本質が見えていない証左であるが、私の願いは日本の 自動車レースの発展振興であり、そうなれば、真っ先に恩恵を受ける立場にあるのがドライバーであるということは忘れないでほしい。



第2回「日本自動車レース工業会が400億円を稼ぎ出す日」

私が「ドライバー育成」だけの日本の自動車レースを批判し、「自動車レースは自動車開発技術の戦いだ」と主張する ようになってから20年弱の歳月が流れたから、また言っているとアホの一つ覚えのように思われるかも知れないが、私がいくら叫び続けても、日本の自動車 レースの実情は揺るぎもせずに変わることはない。
だから、ただ一人で叫び続けるしかなかった訳だが、そんな我が国にも、レーシングカーを作れるコンストラクターは存在するし、レーシング・エンジンを開発 できるチューナーもいる。レース用のECUやダンパー、シートベルト、ギアボックスなど、レーシングカーを構成する部品やそれらの開発能力において日本で 出来ない事は無いくらいだ。しかも、ほとんどの製品においてその性能品質は外国製品に比べても勝るとも劣らない。
どこの国でも、およそ自国の産業を育成するためには法外の関税や付加金などで自国の産業を保護してでも競争力を育てるものだ。昔、台湾でHONDA車のコ ピーを生産していた会社を見学したことがあるが、当時は、運転席のドアを閉めると反動で助手席のドアが開いてしまうような粗悪品だったのに、それらの手厚 い保護のおかげで、今や押しも押されもしない主要産業に成長している。
それら日本の自動車レース界の「物づくり」に携わる人たちにとっての日本の自動車レースは、黎明期の希望に満ちた輝ける未来からは想像もつかない「ジャン ク・スポーツ」となり果て、未だに、レース結果は五大新聞にもほとんど掲載されず、テレビの中継も無く、街中でドライバーがサイン攻めに会うこともないマ イナーな現実は、まるで悪夢を見ているように納得しがたく耐えがたい状況だ。

私を含め、これら「物づくり」に携わる人たちだけが強く持つ違和感や危機感は日増しに大きくなり許容の限度を超え つつあった。顔を合わせれば、自動車メーカーがドライバー育成だけに貢ぎ続ける構造の不思議を愚痴り合っていたが、このままではジャンク・スポーツのその また裏方で終わってしまうという絶望感はつのり、どうせならとみんなで最後の悪あがきを試みることにした。そして創立されたのが「日本自動車レース工業会 (JMIA)」だ。

『日本自動車レース工業会は、「自動車レースは自動車開発技術の戦いである」ことを理念とし、日本の自動車レースに技術の戦いを取り戻すことに努め、レー ス界に生産性と工業力による経済効果を喚起し、それにより、日本の自動車レースを発展振興させることを目的とします。最終的には、現在、約1200億円と も言われている海外に流出しているレース関連の購買を国内需要に振り向けるだけでなく、輸出を拡大して、貿易収支を改善するところまでを目標としていま す。』
これは設立趣意書の一部だが、つまるところ、自動車メーカーが海外に垂れ流しているレース予算を国内消費に振り替えろ!という事だ。そうすれば、その資金 は国内のレース産業を還流し、たちまち日本の自動車レース産業は活気づくだろうし自動車レースの存在感も一気にクローズアップされることになるだろう。 1/3の400億円が日本のレース界に流れ込んだ状態を想像してほしい。ドライバーたちも、このような充実したインフラの土壌の上で戦ってこそ存在価値が 発揮できるというものだ。

日本自動車レース工業会も、当初はそれほど具体的な戦略を持っていた訳ではないが、その後、身近に観察してきた FCJへのフォーミュラ・ルノーの採用やFNのスイフト導入の経緯はとても衝撃的で、これらの決定に至る特異なロジックや決定権を持つ人たちの決定的な見 識の欠如は、我々の今までのあらゆるまともな努力を嘲り笑っているようにも思えるほどの違和感に満ちたものだった。絶望というよりは、一気に肩の力が抜け たような脱力感をおぼえたものだ。

これからも、自動車レースにおける技術の育成と産業の振興には変わらず努力したいと思っているが、これはまともな交渉とか努力という話ではなく、そもそ も、「自動車レース」の何たるかを理解してもらうための努力となるだろうから、タクシーの運転手に道順を教えるような煩わしい作業となるだろう。
しかし、それはそれとして、やはり何か「物づくり」をテーマとした自動車レースで思いっきり戦いたいという願望は強くあるし、JMIAの主張を具体的な形 でアピールできて、その効果を広く知らしめる妙案はないものかと協議に協議を重ねた結果、生み出されたのがF20のコンセプトである。詳しくはJMIAの ホームページ(http://www.jmia.jp/) を参照していただきたい。特に、画期的な廉価版CFRPモノコックにご注目を。



第3回「自らが諸悪の根源だとはついぞ気がつかなかったぞ」

一回目の原稿の最後で、次回はもう少し核心に触れてみようと述べた割にはありきたりの内容だったな?と思われた方 も少なくないと思うが、何事に関しても、情報の伝達には発信者と受け手がある訳で、受け手がその情報に興味がない場合、回りくどい表現方法ではなかなか真 意が伝わらない。
私は20年弱に亘って「自動車レースは自動車開発技術の戦い」だと言い続けてきたが、およそ誰も関心を示さないしレース界が変わる様子もないから、勢い、 表現はストレートになるし過激になってくる。それでも反応がなければ、よりエスカレートしていくのが道理と言うものだ。
私も長年に亘って、手を変え品を変えて「改革」の必要性を叫び続けてきて思うのは、これだけ自動車レースがジャンク・スポーツになり果てても、いささかも ぶれることなく同じ道を突き進むレース界の人たちの頑迷固陋な頭の構造だ。
どんな事業でも活動でも、長年努力を続けても成果が得られなかったら方向性や方法論を見直すのが普通だと思うが、この後に及んでも、この世界にはまったく 改革に向けての兆しも見えない。

これは、よっぽど頭が悪いのか向上心が欠如しているのか、いずれにしても、聞く耳を持たない相手に対し ては、どんどんキーワードを露骨にしていかなければ伝えたいことも伝わらないし、反面、あまり露骨にすると、あらぬカラクリの暴露や個人攻撃に陥ってしま いがちで下世話な話になってしまい、かなりのジレンマに陥ることになるが、いずれにしても、聞く耳を持たない人達にはどんな重要な情報も「馬」「糠」 「柳」「猫」「豚」のことわざのごとく無意味だし、その言葉じりだけを捉えられて、単なる過激な放言者のように思われるのが関の山だ。
何を言っても無駄な努力であることは身に染みているはずなのに、まだいくばくかの希望を捨てきれずに声を荒げている自分は嫌いではないが、まあ、これ以 上、嫌われたくもないので、表現はそこそこにしておくことにした次第だ。
しかし、興味のある人は童夢(http://www.dome.co.jp) の私のコラムなどを参照してもらえば、かなりのキーワードが散りばめられているので、読み解けばより理解が進むだろう。

さて、およそ近年の日本人は、まるで流れに身を任せて生きることが大人の良識ある行動だと言わんばかりに、十把一絡 げに群れることに安心感を求めているように見える。
このように大勢に迎合することに汲々としている人たちにとっての最大の関心事は大勢であり、世の流れには敏感でも、真実を見極める洞察力というか心眼とい うか、ちょっとした違和感とか疑問とかに対する反応は鈍い。
この流れも正しい方向に向かっていれば問題ないものの、方向が間違っていれば、いずれ流れは停滞し澱んでくるし、もっとひどくなれば干上がってしまうだろ う。
身を委ねる流れが途絶えれば生きていけないのでやっとあがき出すのが常で、まさに、今の日本の政治がその状況だ。血液製剤で何百人の被害者を出しても、年 金や郵貯の資金が食いつぶされても、省庁再編しても公務員の数が減らなかっても、政党助成金だしても献金は無くならなかっても、天下りが年々増えても、借 金が1000兆を超えても、全て寛容に見過ごしてきて任せっきりだったけど、やっと、この期に及んで、いくら何でもこのままでまずいかな?と気がついた時 は、最早、足もとに流れは無く、ひび割れた地面が広がり成す術もないというところだ。

FNもちょうどそんな時期に差し掛かったのかもしれないが、関係者の端っこのほうからSOSというか相談というか、 藁をもつかむような、かなり切羽詰まった声が聞こえてくる。

藁でもゴミでもいいが、1995年に「ポストF3000を考える」という企画書で、モノコックなど個々 に開発することが困難な部品だけをワンメイクとして供給して、その他の部分に関しては各コンストラクターが製作して技術の戦いを導入するというアイデア は、フォーミュラ・ニッポンという名称だけ採用されて、内容については検討もされなかった。
HONDAのバックアップを受けて童夢で開発した、オーバルの走行も可能なMLというシャーシのFNへの供給も「特定の1社(童夢)だけに利する訳にいか ない」と断られた。
FCJもFNも含め、およそ一度の相談もなかったし見積もりの依頼も受けたことがない。
(FNは、直前におざなりのプレゼン依頼が来たが、時期的にも内容的にも形式的なものであることは歴然としていたし、既にSWIFTで進行していることは 承知していたので、当然ながら無視した)

レーシングカーに関しては、日本では最も先進の開発技術と豊富な経験を持っていると自負している童夢だ が、フォーミュラに限らずGTに関しても、あらゆる技術分野に関して、どこからも何も聞かれたことがない。長年、私はこのまるで日本に存在していないよう な扱いが不思議でしょうがなかったが、最近、そのロジックが理解できるようになってきた。それは、童夢という存在が日本のレース界の流れにそぐわない特殊 な異分子だから排除の原則が働いているのだろう。昔から、事あるごとに「技術競争になれば童夢しか勝てない」とか「国産化したら童夢だけが儲かる」とか理 由は様々だが、深層に、レーシングカーの開発技術を持つものを避けた環境で均衡を保とうとする心理がレース界の人たちに働いている事は間違いないだろう。 つまるところ、単なる邪魔ものだったのだ。
何のことはない、日本の自動車レースの技術や産業の発展振興の足を引っ張っていたのは、童夢が目の上のたんこぶとなって阻止していたという訳だ。
まあ、そうであるのならば、そろそろ童夢をぶっ潰して人材を散逸させれば、そこここに自動車レース関連技術の萌芽が芽生え始め、それが時間の経緯とともに 大樹に育つのではないか等と遠大な構想を持ち始めて居る。
まるで、手塚治の「火の鳥」で、意識体となったマサトが生命の復活を期待して生命の元となる要素を海に注ぐ心境と言えば言い過ぎか?
大げさでなく、死に物狂いで食らいついてきたレーシングカー・コンストラクターの末路としてはいささか侘しい限りだが、そうなれば、少なくとも今後10年 くらいは、日本の自動車メーカーが世界のトップカテゴリーに挑戦する時は外国の技術に頼らざるを得ないし、そういうギミックを続けているといつまでたって も頼りっぱなしになるし、マサトの生命の元もそうそう早くは進化しないだろうし、やはり日本は、いつまでもドライバー育成だけの国かもね?



第4回「ドライバーの育成のみに興じてきた日本の
レース界に、今、出来ることって何?」

さて、愚痴りまくっているうちにコラムも最終回になったが、正直言って、毎度、同じ事を言い続けるのも気恥ずかしく なっているし、なによりも飽きた。
一見、私は自動車レースに関係している者の一人として、自動車レースの現状を憂い明日に向けての発展振興を願っているように見えるが、そういう一面もある にせよ、本質的には、自分の生きてきた世界があまりに脆弱で世間的な評価も低いから、このままでは自らの人生の足跡すらも儚くうつろなものになってしまい そうな危機感や、今までの努力や苦労といったものと、その成果としての現状があまりに釣り合わないことに焦燥感を覚えての悪あがきというところが本音だろ う。
まあ、童夢チームが優勝したウィークエンドに我が家にたどり着いても、私が言わない限りは誰もその日の出来事には気が付かないし、次の日の朝刊にも何も 載っていないし、TVのニュースで流れることもないような状況だから、とてもモチベーションを保つことすら難しいが、一方、レース関係者が「どうせプロレ スだから」と自嘲するような出来レースに熱くなれるほど勘違いしている訳でもない。
たぶん日本のレース界で、私が最も自動車レースを過大評価していて、だから、その理想とする姿と現実とのめっぽう大きなギャップに大いに困惑し失望してい る部類の人間であり、他の多くの人たちの不平不満というのは、「もう少しメジャーになったら嬉しいな」程度のささやかな望みなんだろうと思う。
つまり、サラリーマンの給料に例えれば、俺は100万円もらえるだけの能力があるのに何で20万円なんだ!と憤慨している人と、あと2万円多かったらロー ンの支払いが楽になると思っている人の違いのようなもので、同じ種類の不満であっても、前者は転職するしかないが後者は粘り強い交渉で解決する可能性もあ り、まるで同床異夢だ。
私の常々の主張は転職の勧めのようなものだから、2万円のベースアップを望む人たちにとっては極論のようにしか聞こえないのだろうし、私から見れば、2万 円のベースアップを夢見る人たちのささやかな希望にはもどかしさが募るばかりだ。
もとより接点もなかったのだろうが、いつの間にか勤め先の会社の業績が悪化して、その20万円すらおぼつかなくなって来た時、ふと、「こんな会社に未来は ない!」と言い続けていた変わり者の言葉を思い出す時が来るのかもしれない。

なんだか結論じみた話になってきたが、せっかく自動車メーカー系のサイトに掲載していただいているのだから、少 し、自動車メーカーと自動車レースの関係について考えてみよう。
日本の自動車レースのほとんどの資金源は自動車メーカーであり、各自動車メーカーの担当者がその使い道を裁量するが、これらの人は数年で配転となるからた えず素人が采配を振っていることになる。一方のレース界には何十年と経験を重ねている人が大勢いるから、土台、話は噛み合わないはずなのだが、なにしろ、 片や金を出す方で、片やそのお金が無くては生きていけない立場なのだから最初から勝負にはならない。
結果、「子供たちに夢を」とか「公平に勝とう」とか、自動車メーカーの素人の担当者が理解しやすいような安易な提案の出来る人が重宝され、小難しい話は敬 遠されがちだから、おのずから日本の自動車レースは「ドライバーの育成」と「プロレス」だけになってしまった。
自動車メーカーにも、レース畑に長くとどまっている人もいるのに、どうしていつまでもこのような素人っぽい発想しか出来ないのかと不思議でならないが、自 動車メーカーと長く付き合っていると解ってくるのが大企業のサラリーマンの特性だ。
彼らは、出過ぎたことをして汚点を残したくないものの、何もしないと評価もされないというジレンマの中で絶えず揺れ動いているから、本質的に、勝敗と責任 の所在が明確な勝負事が苦手だ。だから、自動車レースに対しても、ドライバーの育成というようなワンクッションおいた取り組み方を好むようになるし、レー スでも真剣勝負を避けるように複雑怪奇なシステムを考え出し勝敗の行方をあやふやにする。
つまり、自動車レースが歴然とした勝負事であるにかかわらず、勝敗という本質的な要素から逃避した形でしか取り組まないから、自動車レースは自動車レース で無くなるし、そんなレースをいくら続けていても、素人はいつまで経っても素人だ。

こう言うと、「こちとら長年F1の現場で戦ってきたプロだ!お前なんかに素人呼ばわりされる筋合いはない!!」とい う声が聞こえてきそうだが、では、もし今、自動車メーカーのトップから自社マシンによるルマン必勝の命令が下ったとしたらどうするつもりなのだ?いまま で、自らの力で戦ったことも無ければ、技術とインフラの構築を度外視してきたおかげで為す術もないだろう。
何らかの理由をこじつけて、車体は外国性を採用したほうがあらゆる面で有利だというような流れを作り、またぞろ、外国の適当なコンストラクターとチームを 探すところから始めることになるのがオチだ。
日本の自動車メーカーが、今後、どんなレースに挑戦することになろうとも、すべからく外国頼りを前提としての話にならざるを得ない現状を鑑みるに、この点 だけを見ても、充分、自動車レースの本質を理解しない素人だと言える。

私は、自動車メーカーを含めた日本のレース業界に最も欠落しているのは見識だと思う。
もし私の言うように「自動車レースは自動車開発技術の戦い」だとしたら、その肝心の技術分野に疎いのだから、自動車レースを全く異なった視点から見ている ことになりトンチンカンな発想しか出来ないのは当然だろう。
TOYOTAとHONDAがF1に参戦開始する時に、両社に日本の技術での挑戦を熱心に提案したが、多分、検討すらされなかっただろう。
もしも最初から、自らの力で戦うという当たり前の選択をしていたら、そしてそのチームにいままで垂れ流してきた潤沢な資金の半分でも与えていたなら、そし て7〜8年という時間の余裕を与えていたら、現在、日本人の英知と日本の工業力による純日本F1チームは、100%F1の頂点を極めていただろう。
そうして、日本の青年たちにF1の第一線で経験を重ねるというチャンスを与えてやる事が出来ていれば、その環境で成長した日本人技術者たちは、F1に限ら ず、自動車レースそのものに精通した一流のプロフェッショナルとして活躍し、彼らの実践から学んだ経験と知識は、今、自動車レースを正しく理解し見識を高 める有効な手立てとなっていたはずだ。

だんだん八つ当たり的になっていくが、だいたい、F1マシンというもの自体が気に食わない。究極のレーシング・マシ ンの割には、何で空気抵抗の塊のようなタイヤ丸出しなの?タイヤ噛み合ったら飛んでいくよ、とか、コースなんかゴミだらけなのに、今どき、ドライバーの 頭、吹きさらしで走らせて良いの?とか、そもそもオープンホイールって自動車レースの黎明期にフェンダー外して走った名残で、単なるレトロ・ファッション じゃないの?とか、いちゃもんはいくらでも付けられるが、何といっても、最早、形状的に自動車としての美しさを失い、危険な香りを売り物にしただけの野蛮 な乗り物だ。
しかし、今も若いドライバーの終局の目標はF1であり、それを目指す若手ドライバーのF1に対する憧れは強い。だから初心者もフォーミュラの形に憧れる が、同列の安全性のマシンながら、片や世界から選ばれたトップ30の天才が操り、片や初心者なのだから危険なことこの上ない。
だから、JMIAではかねてより、初心者のためのFCJやFJ、F4のシャーシに高度な安全対策の導入を説いているが、日本のレース界は、このような提案 に対しても消極的かつ排他的で、まともに検討すらされない。
そうこう言っているうちに、ジョン・サーティズの息子が亡くなり、フェリペ・マッサが重傷を負った。彼らが自分または友人の息子だったら、貴方もきっと フォーミュラが大嫌いになっているだろうよ。


08年にJRPに提出したFCJシャーシ企画書のイラスト。高度な安全対策を訴えている。

もう飽きたと言いながらも言いだしたら止まらないほどうっぷんは溜まっているが、最近の私はマイクロ・ボートの開発 に夢中になっている。
(詳しい内容は「OCEAN FRY」を参照)


CFRP製で船体26Kg。簡単にエンジンごと1.3×1.1×0.5mに収納可能で
離島まで宅配便で送れる。免許/船検は不要。

これらのボートには、レーシングカーの開発技術が惜しみなく投入されているが、ECOLE DOMEプロジェクト(詳しい内容は「ECOLE DOMEPROJECT」を参照)や童夢カーボンマジックのもろもろのプロジェクトとともに、いままでレーシングカーの開発によって培ってきた テクノロジーが、このように実用面やエコロジー技術に活用できることに、いままでの人生が無駄でなかったという証を求めようとするかのごとく熱中してい る。


おまけその1 正しいF1の戦い方。
日本人から選抜した100人に、年間60〜80億円を提供し(エンジン除く)、純粋な日本の技術でF1を戦わせる。自動車開発技術の松下政経塾のようなも のだ。

おまけその2 レース界は不必要悪と決別せよ
自動車レース界は天下りの利権構造とは一線を画す矜持を保つべし。日本の自動車レースは日本の自動車レースを一番よく知るレース界の人たちが自らの手で構 築すべきだ。

おまけその3 ルマンタイプのレースを導入せよ。
近未来の日本の自動車レースは、@トップカテゴリーとしてルマンタイプのレース Aその下にFIA-GT B開発競争型フォーミュラ・レースを柱として再構 築すべし。
こうすれば、世界と戦える道が開けるし技術と産業の発展振興も望めるしマシンの交流も始まる。

おまけその4 自動車レース専門会社を作るべし。
自動車メーカーは、ノウハウと経験をプールし、過去からの経緯を熟知したうえで将来の展望を描けるような自動車レース専門会社を作るべき。
人材を固定し実戦で鍛えることによって、自動車レースに対する実力や見識を育てプロ化を目指すべし。

おまけその5 日本自動車レース工業会(JMIA)に協賛すべし。
一応、自動車メーカーには支援金のお願いはしているものの現状ゼロだ。ドライバーの育成には陰ひなたに多大な支援を行っているのに、技術と産業の振興には無 関心というのは自動車メーカーの方針としてはおかしい。ただちに支援を開始すべき。

おまけその6 日本でのF1の開催を止めるべし。
自動車メーカー系サーキットが、F1の為に大金を投じてどんどん設備を改善していくのは見るに堪えない愚策であり無駄遣いだ。日常のレースとあまりにかけ離 れた豪華な設備との大きなギャップは地に足の着いていない新興国のサーキットそのもので恥ずかしい。

おまけその7 「日本自動車レース研究所」を創立すべし。
自動車メーカーの出資によるレーシングカー開発を支援する「日本自動車レース研究所」を創立すべし。風洞、クラッシュ・テスト、ポストリグ、各種設計ソフト などを設備し、プロ、アマを問わずレーシングカーを開発したい人を支援する。設備関係については各メーカーで休眠しているものを活用。管理運用はJMIA に委託。

おまけその8 レーシングカーの安全基準を規格化すべし。
日本の自動車レースを主導しているのは自動車メーカーなのだから、安全基準に関しても独自の制定/運用をすべき。現在の責任回避のようなFIA任せでは対応 として不十分だ。
安全性を追求することによって自動車レースの何たるかについて見えてくることは多い。

おまけその9 ドライバーOBを活用すべし。
競技長や審査員など、レース現場の管理的役職に優先的にドライバーOBを採用することによって、リタイア後の人生設計にひとつの可能性を与えるとともに、いつ までも同じ顔がサーキットに集える環境を作るべし。ドライバーOBを野放しにしておくと、彼らの頭で考えられるリタイア後のビジネスとして、必ず「ドライ バーの育成」を訴え始めるので始末が悪い。

おまけその10 自動車レースをスポーツと呼ぶな。
これは本当のおまけだが、GAZOOのコメント欄にもあったように、私もモータースポーツという言葉は大嫌いだから私の原稿には一切出てこないはずだ。 まあ私の場合はスポーツそのものを理解していないから、北島康介がいくら頑張っていても「イワシよりも遅いのに?」と思うくらいだから、一緒にしないでく れと言われそうだが。

林 みのる
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