Aug.31.2012 NEWS RELEASE 「社長交代のお知らせ」

林みのる(株式会社 童夢 代表取締役社長、株式会社 童夢カーボン・マジック 代表取締役会長 、日本自動車レース工業会 会長)は、2012年8月末日をもって、株式会社 童夢 代表取締役社長及び日本自動車レース工業会 会長の職から退任することをお知らせいたします。
なお、2012年9月1日より、株式会社 童夢の代表取締役社長には鮒子田 寛が就任し、日本自動車レース工業会の会長には 大岩 湛矣氏が就任します。
今後、林みのるは、株式会社 童夢に関しては、特別顧問として主にデザイン関係の管理/運営を担当しますが、会社の経営/運営については、その一切を鮒子田 寛に付託します。
日本自動車レース工業会に関しては、理事として在籍し、大岩会長の方針に従って出来る限りのお手伝いをします。

注)日本自動車レース工業会 会長退任については、日本自動車レース工業会からのNEWS RELEASEを参照してください。

ごあいさつ
唐突なお知らせだと思われるかも知れませんが、私も、もう67歳。もう3年で古希を迎える老人です。そろそろ、世代交代を考えてもおかしくは無いでしょう。
そこで、社長を鮒子田に交代すると言うと、「何が世代交代だ!同級生じゃないか!」という突っ込みが飛んできますが、鮒子田は早生まれなので8ヶ月の若返りになります。

それはさておき、この業界、どうしても自動車メーカーという巨大な組織との付き合いから逃れられませんが、私、どうもこの大企業のサラリーマンと言う人種との相性が悪く、うまく付き合っていくには相当のストレスが付き纏います。
もっとも、官僚/役人/公務員と呼ばれる連中とは相性が悪いどころか、近寄るとアレルギーが出るほどおぞましい存在ですから、それよりはうんとましなのですが、それでも、仲よくする努力を怠ると、いつの間にやらどんどん疎遠になっていきますし、事、自動車レースに関しては文句ばかり言い続けていますから、いつしか疎ましい存在になっていたようで、近年においては、私自身が、童夢の企業としての発展を阻害する最も大きな要因になっていました。

つまり、「あんな社長のいる会社に仕事なんか出してやるか!」というような逆風の中、なんとか頑張ってきましたが、考えれば、私が日本のレース産業の発展と技術の向上を叫びなが ら、その私のせいで日本のレース資金の海外への流出を助長しているとしたら、それこそ本末転倒、パラドックスのようなもので、やっとですが、この日本の自動車レースの世界に私の居場所がどこにも無いことを悟りました。
まあ、細かい状況説明は、日本自動車レース工業会のホームページに掲載されている、日本自動車レース工業会の会長辞任のNEWS RELEASEを参照いただくか、より詳しい解説に興味をお持ちなら、追って発表する「日本の自動車レースへの遺言状」を参照してください。

私も、一旦、そう思い出すと極端ですから、もう日本のレース界と係るような仕事には興味を失っていますが、そうは言っても、継続している仕事もあるし、社員もいるし、何よりも絶滅危惧種となったレーシングカー開発技術やノウハウや経験やインフラを、そう容易く絶滅させてしまって良いのかと言う問題もありますから、鮒子田に相談、というより「お前が後継しなければ潰す」と脅し、鮒子田も、この時点で童夢を潰す訳にはいかないからと引き受けてくれたという次第です。
私と鮒子田との約束は、今までのような趣味としてのレースへの浪費は一切避けて、今までに培った技術資産を活かして、事業としての更なる発展成長を目指すという方針です。

私は今後、童夢においては主としてデザイン管理を担当するに止めますが、私はもう日本のレース界に興味がないだけで、何も車を造ることが嫌いになった訳ではありませんので、現在、東南アジアを中心としたスポーツカーのプロジェクトを計画中です。
これに関しては、別途、具体化してきたらお知らせします。

まあ、どこからか乾杯の音頭が聞こえてきそうだし、喜ばれる方が多そうなのも腹立たしい限りだし、少なからずの敗北感もありますが、ここは素直に気持ちに従い、失礼いたしましたと矛を収めるべきだと思っています。
目の上のタンコブが取れた今、日本の自動車レースが急激に変わっていくことを楽しみに見ています。

また、これからの鮒子田新社長による新体制は、いままでの童夢が、頑固おやじの寿司屋だったとしたら、和やかな雰囲気が売り物の小料理屋に変身する予定ですので、お気軽にお立ち寄りいただければ幸いです。

林みのる

新任のごあいさつ
今回の“林みのる”の発表には、突然のことで驚いていらっしゃる方が多いと思います。
近年、日本レース界の更なる飛躍のために役立ちたいとの一途な思いから、さまざまな提言を続け、また、JMIAを立ち上げてボランタリーな活動に打ち込んできた“林”を見てきましたが、その思いと現実の落差が大きすぎて、もうそろそろ限界が近づいているであろうことは想像していました。
思いが通じず、どちらかと言えば空回りとも思える現実を突き付けられてきた“林”の失意は大きく、“林”の言うように、もし私が引き受けなければ、本当に童夢を清算してしまっていた可能性は高いと思っています。
幸いにも、私は童夢との縁も深く内情も良く知っているので、経営を引き受けることに違和感はありません。
ただし、“林”の経営手法はかなり特殊であり、他人にマネできることではないので、私は“林”のスタイルを継承するのではなく、私なりの方法での堅実な経営を目指していきたいと考えています。
幸い、童夢には長年に渡って蓄積された素晴らしい技術資産があるので、その資産を最大限に活用し、より、一層発展させていくことは可能であると考えています。
レーシングカー・コンストラクターとしての童夢が企業として成長することが、つまるところ、“林”が夢に見ていた、「技術と産業を育成することによって日本の自動車レースの発展振興を図る」ことの証明になると思っています。

今後とも、より一層のご指導、ご鞭撻、ご支援をよろしくお願いします。

鮒子田 寛


鮒子田 寛


鮒子田 寛
ホンダ契約ドライバー経験後、1966年トヨタワークスドライバー、トヨタ2000GT世界スピード記録樹立後、トヨタ7で日本GP等に活躍、数多くの優勝を記録。1972年富士GCチャンピオン。F1-GP、ルマン24時間、米国FA、Trans-Amレース等の海外レースにも出場。現役引退後は童夢副社長、トムスチーム監督。1992年トムスGB社長、1998年Audi買収後は役員として在籍、ベントレーのルマンプロジェクトの責任者として2003年のベントレー優勝に貢献。2003年帰国後、インギングチーム監督に就任。2007年童夢に復帰しルマン計画を担当。2009年以降、エイム顧問、JMIA顧問。2012年よりGTアソシエーションアドバイザーとして日本レース界の振興発展に努める。