Apr.23.2001 PETER BROCK氏、来社




PETER BROCK氏(左)と林 みのる(右)

PETER BROCKといっても、これをご覧になっている方の何パーセントぐらいがご存知なのかは分からないが、私にとっては若きころのスーパースター、いや、神様と言っても過言ではない超特別な人である。
そのPETERは現在、米国の「RACER」誌に執筆するジャーナリストだが、私の友人を通じて童夢の取材を申し込んできたもんだから、私は有頂天になってVIP待遇でご招待することにした。
彼のことを簡単に説明するならば「ヒノ・サムライプロト」のデザイナーと言うのが一番てっとり早いが、あの「デイトナ・コブラ」、「キング・コブラ」、「トライアンフTR- 250K」、「ギア・デトマソ」そして「TOYOTA JP- 6」等の生みの親でもある。
どうだ参ったかって、何にも私が威張る筋合いの話ではないが、とにかく私の20歳前後における憧れのスーパースターではあった。
当時の私にとって、あまりにスーパースターだったおかげで勝手にかなり年上だと思い込んでいたので、夜のご接待なんかは予定に入れていなかったが、会ってみるとまだ66歳で、しかも見かけも若く、毎夜早くにホテルに送っていってたのでちょっとがっかりしていたかもしれないというほど元気な方だった。私とPETERは今回が初対面だったが、面白い因縁がある。
それはPETERが突如、神の啓示を受けレーシングカー・デザイナーを捨ててハングライダーを造り始めたころ(今回、本人に聞いたところによると神の啓示はデマで、グライダーが儲かりそうだと思ったからと言っていた)、わたしはちょうど童夢を創業する直前で半プー状態だったが、ひょんなことからこのPETERのハングライダーを日本で売ることになった。
当時、日本で飛んでいたハングライダーが東南アジア製のママチャリなら、PETERの造っていたUPというのはフェラーリのMTBというくらいの差があったから、どこに持っていっても皆んなが驚くので面白かったが、童夢の創業準備も忙しくなっていたので友人に押し付けたところ、その後すぐに矢印をアレンジしたUPのマークがキャラクターアイテムとして大ヒットし、その友人は濡れ手で粟の大儲けをしたので私は陰でそのタイミングと運の悪さに悔し涙を流し続けていたもんだ。
PETERは童夢の本社と風流舎を取材した後、TiのJGTC開幕戦を取材して帰っていったが、Tiに同行したハヤシレーシングの創業者である林 将一とともに、三人とも三度目の結婚であることから「チーム2ペケ」を結成したので、近々、第二回総会のためにPETERの住むシアトルに行かなくてはならないだろう。
とにかく、精力的でまだまだレースに夢中なPETERと数日間いっしょに居て、ここんとこいかにして楽ちんな老後を過ごすかしか考えていなかった自分を大いに反省しつつ、相変わらず何もしない自分が情けない。

林 みのる

 
PETER BROCK氏(左)と林 みのる(右)