Jun.18.2001 童夢S101、速さは実証。トラブルに勝てず。

スタート直後

見事なスタートダッシュから2位へ浮上

強い雨のためレインタイヤに交換

エンジン不調の後、レースに復帰した10号車

深夜原因不明のトラブルに…

コックピット

上から

スタート直後
見事なスタートダッシュから2位へ浮上
強い雨のためレインタイヤに交換
エンジン不調の後、レースに復帰した10号車
深夜原因不明のトラブルに…
コックピット


2001年度ル・マン24時間レース決勝レースが、16日16時(日本時間17日23時)にスタートした。
予選4番規/C.エルガード組 チームDen Bla Avis Team Goh)は当初の作戦通り、自分のペースを守って走行し順位を着々と上げたが、スタート後5時間を経過する頃、エンジンが不調となりユーノディエールでストップ。手につけていた9号車(J.ラマース/V.ヒルブランド/D.クレベレス組Racing for Holland)は見事なスタートダッシュを見せ2位へ浮上した。しかし、スタートから約15分後、コースの一部で強い雨が降りだし、レースは大混乱に陥った。
タイヤ交換のためピットインするマシンや雨に足をすくわれてアクシデントを起こすマシンが続出する中、9号車のラマースはドライタイヤで走行を続行、ついに首位に進出した。
しかし雨はコース全域に広がり、結局ラマースもピットへ戻ってレインタイヤに交換、セーフティカーに先導されて徐行している隊列へ復帰した。
ところが 復帰直後、9号車は単独スピンしフェンスに衝突、車体後部を破損して再びピットインを余儀なくされてしまった。破損はリヤウイングのみならずウイングのステーにも及んでおり、チームは交換作業に取りかかったがコース復帰には50分近くの時間がかかって9号車の順位は大きく下がっていった。
10号車(J.ニールセン/加藤寛 その後復活、自走してピットへ帰ってくるが、燃料インジェクターのトラブルが発生しており、原因究明に時間を費やすことになった。このトラブルは公式予選中にも発生したものだが、原因がわからず根本的な解決ができないまま1時間近い作業の後10号車はレースに復帰する。レースに復帰した10号車は、一時期はトップグループに匹敵するペースで周回するが、スタートから6時間を過ぎる頃、今度は発電機を駆動するベルトの山が欠けるトラブルが発生してピッピットイン、この対策で再び大きなロスタイムを食らう。このトラブルは公式予選中にも発生したものだった。
原因不明のトラブルに見舞われながら走行を続けていた10号車は、深夜再びトラブルのためピットイン、長時間にわたる作業にかかった。そして17日へと日付が変わった直後、加藤がコックピットに収まりコースへ復帰するが、インジェクターの異常は解決せず、ピットへ戻り、チームはこれ以上の対策は不可能と、そのままリタイアを決めた。「何らかの形で電気系が誤作動し、ECUが誤った判断を下してインジェクターを開きっぱなしにしてしまう。それでインテークの中に燃料が溢れた状態になってエンジンが止まってしまううえ危険なのでリタイアを決めた。誤作動の原因はわからなかった」と奥明栄デザイナーは事態を説明した。
ウイング交換で遅れをとった9号車はその後猛然と追い上げを開始、順位を上げていった。実はこの間、9号車は作戦変更を余儀なくされていた。第3ドライバーのクレベレスが、雨中の夜間走行に難を示したのだ。「スポーツカーの経験が全くなかったこともあって、この雨で夜走るのは怖いと言い出した」と佐々木正マネージャー。「それで、第2ドライバーのヒルブランドを4スティント続けて走らせた。こいつは当初から雨が得意だと言っていただけあって、すごかった。雨の中でも猛烈に速いしピットに戻ってきても降りようとしないくらい楽しんで走っていた」
9号車はこのヒルブランドの活躍で夜間のうちに順位を大きく上げた。チームは、ようやく夜が明けようというところで夜の間休んでいたクレベレスを再投入。「そうしたらこいつがまた速い。ものすごいペースで走り出して、11位にまで上がってしまった。これは速すぎて危ない、なんとかしようか、と言っていたら勢いあまってグラベルに飛び出してまた遅れてしまった」
もっともこのコースオフでのロスタイムは10分程度で、クレベレスは突進を続行。なんと9位にまで進出した。チームはここでエースのラマースに引き継ぐ予定だった。ところが夜明け前の5時半、9号車はユーノディエールで止まってしまった。電気系に異常が発生したのだ。ユーノディエールにはピットからの無線が届かないが、チームは非常時に備えて携帯電話をコックピットにガムテープで固定して装備していた。その電話を使ってクレベレスと連絡を取り、対策を試みる一方サポートカーを現場近くまで送り、なんとか修復しようとするが、結局事態を好転させることはできない。1時間近くレース復帰へ向けての努力が続いたが、レースを10時間ほど残した時点で結局チームはリタイアを決めた。
「ラマースは、スタート直後の単独アクシデントが最も痛かった、と言っていた。ただアクシデントばかりではなく、リタイアの原因になった電気系の問題や、ウォータープレッシャーダウンなどいくつか細かいトラブルも生じた。これらのトラブルを抜きに考えれば、ペース自体は優勝したアウディに比べても悪くなかったので、今回見つかったS101のウィークポイントをこれから直すことを考えようと思っている。それにル・マンの場合はぶつかって壊れることも想定しておかねばならないところが難しい。これはふだん出場しているレースでは必要のない部分なんだけれども、ウイングのステーも10分くらいで交換できないといけなかった」と、奥デザイナーは今回のレースをエンジニアリング面から総括する。
佐々木マネージャーは「これまでル・マンでは経験したことのない天候だった。まるで、スパ・ウェザーみたいだった。でも、朝の6時までアウディと同じペースで走ったから、とりあえずは満足。9号車も10号車も結局電気でリタイアしたのは、天候の影響もあったかもしれない。とにかく、今回は予算不足、時間不足、テスト不足だったということだろう」と語った。シェイクダウンからわずか3か月で迎えたル・マン24時間レースは、童夢S101にとって厳しい試練の場となった。だが、この週末の活躍を通して童夢S101の素性の良さが広く知れ渡ったのも事実である。厳しい実戦を通してその素性は磨き上げられるに違いない。そして童夢S101は次なる戦い、7月第1週にチェコのブルノで開催されるFIAスポーツカー選手権シリーズ第4戦へ向かう。

大串 信

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