May.31.1999  「F1GP-NIPPONの挑戦」 STATUS REPORT




前回、「F1GP NIPPONの挑戦」のSTATUS REPORTをお送りさせて頂いたのが1997年の7月でしたから、もうそろそろ2年にもなろうというくらいのご無沙汰です。
この間にF1GPの世界は大きく様変わりをして、昨今は世界の自動車メーカーによる全面戦争の様相を呈してきました。
この現在のF1環境の中で、童夢のようなプライベート・チームが新規に参入する事が大変に難しくなって来た状況は認めざるを得ませんが、この間には、私たちにとってそれなりに期待のもてる展開もいろいろありましたので、何とか良いご報告が出来るまでと頑張っている内に今日に至っています。
何しろ、F1GPへの参戦は童夢の最終目標ですから、決して諦めたわけではありませんが、しかし「F1GP NIPPONの挑戦」のコンセプトによるF1GPへの参戦計画自体は既に蹉跌しており、また、その後をうけて努力を続けていた日本製のハードウェアをF1GPに投入する方法についても主要な問題が解決されないまま難航を続けていましたが、このたび霧が晴れた途端に暗礁に乗り上げたという感じで当面の進捗が難しくなりましたので、これを機に遅ればせながら童夢のF1GP参戦プロジェクトの近況をご報告させて頂きたいと思います。
いろいろ相手先もあることですから表現が曖昧なところが多いと思いますが、想像力を交えながらでもご理解いただければ幸いです。


■あらすじ

株式会社 童夢では1986年にその最終目標をF1GPの参戦に定め、その為に必要不可欠なフォーミュラ・シャーシの開発技術の育成を目的に同年よりF1の1つ下のクラスに当たるF3000用シャーシの開発を開始しました。
1994年には全日本F3000選手権レースにおいてシリーズ・チャンピオンを獲得、満を持して本格的なF1シャーシの開発を開始、当プロジェクトがスタートしてから10年後となる1996年にF1プロトタイプシャーシ「童夢F105」が完成、直ちに実走テストを開始しました。
同時に「純粋な日本の技術によるF1GPへの挑戦」を基本理念としたF1GP挑戦計画「F1GP NIPPONの挑戦」を発表し実現への努力を続けてきました。


■ご報告

1996年にスタートした「F1GP NIPPONの挑戦」プロジェクトは、その基本理念に基づき、シャーシは勿論、エンジン、チーム体制、ドライバーまで日本の技術で構成するために各方面にいろいろなアプローチを開始しました。
ちょっと時期尚早な感じが否めないこの時に当プロジェクトをスタートさせた理由は、1つにはレギュレーション上、1997年からの参戦が経費的に大変にメリットが大きい事があげられますが、最大の理由は、当時、巷間うわさの絶えなかったオールHONDAによるF1GPへの復帰の可能性が高まる中、先兵としての童夢/無限による純日本チームの参戦にはたいへん大きな意義もメリットも必然性もあり、実現の可能性も高いと見込んでいたからに外なりません。

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