May.02.2008 S102 Project 2008 Sugo Test Report























取り敢えず速さは証明した。

鈴木英紀レポート+林みのる追記

しかし、致命的にテストが少ないのが悔やまれる。  

一般に、2004年レギュレーションと言われる現在のルマンのLMPレギュレーションは、グループC時代のウイングカーと似た床板を持つ。
昔のウイングカーの場合、高い空力効果を得るためには、フロントのロードクリアランスを低く、そして、床下の空気を効果的に吸い出すためにリアのロードクリアランスを高く保つセッティングが効果的だった。

ところが、現在のルマンLMPカーの場合、1999年、メルセデスが空を飛んだことをきっかけに構想されたため、形がグループC時代と似ているだけで、空力的にはまったく違うコンセプトに基づいて作られている。
現在のルマンのLMPカーの場合は、リアのロードクリアランスを上げてしまうと、ボディ側面から床下に空気が入り込んでしまって逆にダウンフォースが失われてしまう。

4年前、多くのエンジニアは、2004年レギュレーションの床板を手なずけるのに非常に大きな苦労をしなければならなかったが、 しかしそれは4年も前の昔話だ。現在では、かなりの高効率を達成しており、強力なダウンフォースを安定的に発生できるようになっている。

これまでS102は、純粋なシェイクダウンに過ぎない鈴鹿テスト、様々なシステムの確認に徹した富士テストをこなしてきた。これまで、サスペンションなど各システムの機能を確認するため、強力なダウンフォースを避けて、やや高いロードクリアランスで走行してきた。

3回目、そして日本国内で走る最後の機会である菅生テストでは、おおむねの基礎的なシステム調整を終え、いよいよ速さを追求する段階に来たので、ロードクリアランスを設計値まで低くして走行を開始した。
他の変更点は、ドライバーから見えにくいと報告されたバックミラーが、ドアにマウントするタイプからフロントフェンダーにマウントされるタイプに交換されたことだ。

菅生のコースレコードは、非公式ながら、昨年S101.5がシステム開発テストで記録した1分13秒台だ。

28日朝、伊藤大輔のドライブによって菅生のコースに躍り出たS102は、いままでとは大きく異なる速さとフィーリングを示し、いやおうなくスタッフの期待も膨らんだ。1ラップしてピットに戻り、サスペンション周りのセットアップを開始、直ぐにコースに戻った。

これまでのテストで使われたショックアブソーバーは暫定版だったが、今回からS102専用のオリジナルのショックアブソーバーが取り付けられた。
何度か調整を行った結果、伊藤大輔は、あっさりと1分12秒台を記録した。もちろんコースレコードだが、ほんのちょっとシャシーセッティングを施しただけの状態であるため、童夢の面々の表情が明るくなったのは当然だった。

まだセッティングを始めたばかりだが、他のドライバーの慣熟も必要なので、続いて立川祐路と片岡龍也が乗り組んで、セッティングを進めた。
いままで低温のため、効果を判定し難かった、たくさんのスリットが空けられたリアカウルの温度テストも終了した。

セッティングはまだまだ不充分だが、かなり感触は良好なので、童夢のエンジニアは、ドライバー達に段階的にタイムアップしていくように指示した。

現在でもパドルシフトシステムの開発は続いているが、今回はちょっと違うプログラムが組み込まれた。しかし、富士の時と違って、逆にシフトチェンジのタイミングが合わなくなったようで、立川祐路は1コーナーへ進入する際、シフトダウンしなかったため、ブレーキをロックさせてしまいコースアウトしてしまった。
右リアサスペンションのプッショッロッドが折れてしまったが、立川祐路は三輪走行でほとんど1周走ってピットに戻ってきた。奇しくも、三輪走行でもピットに戻れれることが証明された訳だ。

もちろん、パドルシフトのプログラムは従来のものに戻された。ただし、パドルシフトについてはまだまだ不満が多いので、次回のスパテストの際、さらにセッティングを進める予定だ。

このようなマイナートラブルはあっても次第に速さを増してきたため、午後、伊藤大輔が予選タイヤを履いてタイムアタックを行った。
2周のタイムアタックで伊藤大輔はあっさりと1分10秒3を記録した。童夢は1分10秒を切ると予想していたようだが、コースレコードを3秒も短縮したのだから、取り敢えず合格と言えるだろう。

さらに少しずつセッティングを煮詰めた結果、夕方になると、立川祐路はレースタイヤでも1分11秒台でコンスタントに走行するようになった。
こうなったら、セッティングが決まれば何秒でるだろう!と期待してしまうのが人情だ。

1日を空けて30日、再びS102は菅生に現れた。
しかし、今日のメニューは、連続走行だ。最初に伊藤大輔が乗り組みフルタンクで連続走行を行った。燃料を使い切ったところで片岡龍也に交代して、再びフルタンクでの連続走行を行った。中途半端なシャシーセッティングであるため、ドライバーも少し乗り難いようだったが、充分に速いラップタイムで、トラブルなく連続走行を終了した。

やっと速さを追求するためのセッティングが始まったところだが、ルマンのテストデーまでには、スパでもう1日走れるだけだ。ドライバーも、マシンにもコースにも不慣れなままルマンに挑まざるを得ない状況だが、時間の無いのはどうしょうも無い現実なので、スパでは、予選用のスピードアップに特化したテストを行うことになっている。


追記

S102は、3月11日の発表会の前日に仮組み立てが終わった。しかし、この時点ではギアボックスが付いておらず、完成には程遠い状態だった。開発担当者の湯地が英国まで乗り込み、半ば強引にギアボックスの下半身を持ち帰ったのが4月3日、それから童夢製のCFRPの上半身を組みつけて車両への搭載が終わったのが4月7日のシェイクダウンの直前だった。

一見、ギアボックスの完成遅れが全ての元凶のように見える表現だが、それもあるが、そもそも、1月中にシェイクダウン予定の車両の空力開発が年末まで続いていたのだから、ある意味で、ギアボックスの完成遅れを見越した開発陣の確信犯行という疑いも拭いきれない。
いくら童夢が早造りを得意としていても、40%モデルを1ヶ月で実車にすることは難しい。日々、やればやるほど数値の向上していく空力開発をどこで止めるかはなかなか難しい判断となるし、走行テストを1回削ってでも風洞を続けた方が結果的には得策だという誘惑は魅力的だ。

しかも、いくらどこのサーキットも空きがないといえども、結果的に、鈴鹿での4月7、8日、富士での4月16、17日、菅生の4月28、30日の国内テストと、ルマン前のスパでの1日のテストが全てであり、まるっきりブランニューのマシンと不慣れなドライバーを引き連れてのルマン挑戦としては、車両開発に大変に偏った変則的な計画であることは否めない。
鈴木のレポートにもあるように、セッティングも中途半端なままスパで1日走ったところでどうなるものでもなく、結局、煮詰める時間が足りなかったとか思わぬマイナートラブルが発生して実力を発揮できなかったとか、つまり、たらればの言い訳がましい説明が続くことになるが、これだけルマンを戦ってきた童夢の集大成として計画してきたS102の開発とルマンへの挑戦は、詰まるところ、車両開発が全てであり、レースを勝ち抜くこととは別のロジックで実施されているという事だ。

これは、コンストラクターとレーシング・チームのマインドの違いであり、いつまでも、ルマンに勝つという総合的戦略的な采配を振れない私の責任も大きいが、我々は、あくまでもレーシングカー・コンストラクターなのだから、これはこれで仕方がないと思っている。やはり理想的には、特定のクライアントというかチームのためにレーシングカーを開発し、チームの勝つことへの欲望と我々の速いレーシングカーを造りたい欲望のバランスをうまく調整する機能が必要だろう。
巷では、「さあ、ルマンでの結果は?」という見出しが躍っているが、我々にとって、富士での最高速325kmや菅生での10秒など、ほぼ予測された性能を発揮していること自体にも大満足しているし、それを正確に予測できるノウハウや、過去のルマンのデータを活かした、ぎりぎりクリップポイントが見える攻めたドライビング・ポジションの設計などにもおおいに自己満足しているし、自信も深めている。
童夢の活動は、基本的にはレーシングカー・コンストラクターとしてのものであり、レーシング・チームとは立場もマインドも異なることを理解していただきたいと思う事が多いこの頃だ。                                                          林みのる